石巻の話も、まだ途中ですし、14日の福生市講演の話もまだ何もしていませんが、昨日の江戸川区講演の話を、記憶に新しいうちに書こうと思います。

(それに、新しいURLのブログになってからコメント下さっている方がたへのお返事や、頂いているメールへのお返事もまだほとんどできていなくて、すみません。)

でも、きっと今日1回分では時間的に書き切れない、と書く前からわかりますので、2回に分けます。

今まで色々なところで講演させて頂きましたが、昨日の講演会は、その会場のロケーションや会場の作りが、特筆すべきでした。

まず、会場が船堀駅前、ということ。
駅から出てきた人々の波は、このデパートのようなホテルのような、ゴージャスで居心地の良さそうな公的施設に、ある程度流れていきます。
この 「タワーホール船堀」 は、映画館があったり、JTBなど民間企業も入ったり結婚式場も入っていますが、江戸川区の施設であり、会議室や講演会場、大ホール、喫茶店、食堂などなんでも入っています。しかも無料で登れる展望台もあるのです。(余談ですが、私の実家のある横浜のランドマークタワーは、上に登るのに?円もかかるので、まだ登ったことがありません。)

船のような形をしたこの建物は、吹き抜けがあり、2階以上の廊下がカーブしていたり、とても斬新な作りです。一度皆さんも行かれて見て下さい。 食堂も手ごろな値段でした。 やはり区の施設だからでしょう。

講演会場はまたいいことに、1階の展示室1・2というところで、ものすご~く広い!のです。 しかも入り口を開けっ放しにオープンにしているので、特に講演会に関心がない人、用がない人も、「あれ? 今日はここは何をやっているんだろう?」 と気軽に覗けるのがいいですね。 

覗いたところには、11時から17時まで障害関係の書籍がふんだんに置かれているので図書館のようにそれらを読むことができますし、障害関係の映画のダイジェスト版を6時間もの間ずっと流していました。 

スクリーンの前にはまた沢山の椅子が置かれ、皆さん座ってくつろぎながら上映会を見ていました。 

流れていた映画は、「アイ アム サム」 「ビューティフル・マインド」 「カッコ―の巣の上で」 「ツレがうつになりまして」 「明日への記憶」 「レインマン」 「ガチ☆ボーイ」 など沢山。 宍戸大裕監督の 「風は生きよという」 も流してもらいました。


置かれてあった本も、私の 『日々コウジ中』 『続・日々コウジ中』 『50シーンイラストでわかる高次脳機能障害「解体新書」』 『リハビリスタッフ・支援者のためのやさしくわかる高次脳機能障害』 のほか、『壊れた脳 生存する知』 『奇跡の脳』 『マンガ家が描いた失語症体験記~高次脳機能障害の世界』 『わが家の母はビョーキです』 『五体不満足』 など、高次脳機能障害だけでなく統合失調症や発達障害、視覚障害などあらゆる障害や病気に関する書籍が数十種類も用意されていました。

その先に講演会場があり、200席用意してありましたが、ほぼ埋まったのは、時間をかけて広報や宣伝に努めて下さった主催者側の努力のおかげだと感謝しています。

チラシを見ると、私が13時から講演するような書かれ方でしたが、実際は私は14時45分からとのこと。 私自身少々混乱しましたが、13時前から会場に集まって下さった方を見ますと、どうも当事者やそのご家族が多いような気がしました。

高次脳機能障害の方は、集中して講演を聞いて下さっても、50分くらいで集中力が途切れる、と某先生が言われていましたが、夫を見ていてもその通りです。
ですので、多分? 私の話を聞きに来て下さっている方がたは、13時からだと思っていらっしゃるとすると、14時45分までには疲れてしまうのでは、と心配になってきました。

そこで会場の方がた何人かに直撃インタビューをしたところ、やはり皆様、私の講演は13時からだと思ってらっしゃいました。
私は前日のブログで、14時45分からですよ、と書きましたが、それを読まれていた方には申し訳ないけれど、急遽13時からに変えて頂きました。すみません。

けれど、休憩をはさんで江戸川区の地域活動支援センターはるえ野の保坂聡年さん、松本直之さんによる高次脳機能障害についてや支援についての説明の時にも、かなりの方が残って聞いて下さったので、ほっとしました。 こんなに多くの方が集まって下さり、質問も沢山出て、大成功だったと思います。 (続く)

今日も朝から、父が入院中の病院へ行ってきました。 主治医と、「胃瘻」 についての話し合いがあったからです。

父が肺炎を起こし、口から物を食べられなくなり、経鼻栄養をするようになって、もう6週間くらいがたちました。 一時は命も危ぶまれましたが、奇跡的回復を遂げている現在、いつまでも経鼻に頼るのではなく、胃瘻にしてさらに体力を回復したり、嚥下その他のリハビリも進め、いつかは胃瘻と経口 (口から食べること) を併用しながら生活できたら、と期待は膨らみます。

医師から胃瘻の説明や、明後日に手術をする話を受けたあと、同意書関係の書類を頂いて父の病室に行きました。
父も私の説明を聞きながら頷いていた時、医師が慌てて病室に入ってこられて、明後日は検査の人が長引きそうなので、父の手術は1週間後にする旨を告げられました。

すると、父がもごもご何か申しますので、「何?」 「何?聞こえないよ。」 と尋ねますと、今の父にしてはあらんかぎりの声を振り絞って出てきた言葉が、「がっかり!」 でした。

私もびっくりしましたが、医師もびっくりして、「そうですよね、がっかりですよね。 本当にごめんなさいね。」 と謝ったり慰めたりしてくれました。

父は胃瘻をしてまた元気になろう、少しでも口からまた食べられるようになろう、と心の底から思って手術を楽しみにしていたのだなあ、と嬉しく思う半面、延期になって可哀想になりました。
でも、熱が下がってまだ日がたっていないことですし、もう1週間を体調を整えることに使って、来週手術に臨もうね、と言うと、また納得していました。

さて明日は、段々調子が出てきた父の要望で、大きなスケジュール表や、それを壁を傷つけることなく貼れるシート、ベッドからそれを読めるように大きな虫眼鏡、など色々持って行かなくてはなりません。 もう81歳ですが、まだ81歳ともいえ、まだまだ元気に生きてほしいと思います。

一方母の方は、せっかく私が入れた週1回の機能訓練型リハビリデイサービスを、休んでばかりですので、ケアマネさんから今後どうするか相談の電話がありました。
本当はアルツハイマーを少しでも改善するために、色々なところへ出て行ってほしいのですが、母があまり好まないことを無理にさせるのはかえって逆効果の気もしてきまして、辞めようかな、と悩んでいるところです。 明日12月に入りますので、明日にはどうするか決めて連絡しないと。

いつものように、病院への往復3時間、病院に3時間半、犬のウメの散歩2回で計2時間、それで終わってしまった1日でした。 ではまた。