昨日は「高次脳機能障害と囲碁&心の唄」の定例会だったので、朝から夕方まで出かけていましたから、ウメの散歩は朝早くと夜になりました。

1日中降っていた雨が夜でもまだやまないどころか、8時半頃はかなりの霧雨が横から降っていたので、私もウメもびしょ濡れになりました。(コウジさんはテレビを見ていました。)帰宅してからウメの体を拭くのが大変で、寝不足(絵本描きが長引き、前夜寝たのが午前4時だったので3時間睡眠)もあり、疲れて寝ました。

今朝は降っていなかったのでほっとし、出勤するコウジさんを見送ったあと、またウメの朝の散歩を済ませ、プラナリアに解凍した赤虫をあげ、多摩川猫やホームレスさんのお世話をされている小西さんにささやかな支援物資を送ってから、バタバタと家を出ました。今日は、横浜に住む母の病院付き添いの日なのでした。

無事受診を終え、ファミレスで昼食を一緒に取りながらおしゃべりに花を咲かせたあと、母が夕食に食べるものをそばの店で買って持たせ、元気な様子の母に安心して母をタクシーに乗せると、私も帰ってきました。帰るとまたウメの散歩で、散歩から帰るとコウジさんが帰宅。

・・・さすがに朝から動き通しで疲れていたので、夕食の用意にかかる前に、コウジさんい「ちょっと休ませて。」と言って床にのびていました。
ところが目をつむっていると、すぐに猫のチーが私の顔に冷たい鼻をクンクンつけてきたのです。私は途端に嬉しくなり、疲労感が半分に減って起き上がりました(笑)。

そして水槽の中のプラナリアたちの様子を見に行くと、赤虫を食べ終えた14匹がぽってりした体で動いていたので、さらに元気が出てきました。ただ、今日は水替えまでできる余力がなく、明日にしました。

さて、昨日の囲碁の会には、TKK(東京高次脳機能障害協議会)の細見理事長が、当事者の息子さんを連れて参加して下さいました。これはとても大きな出来事です。細見さんは、この会に関心を持たれ、様子を見にいらしたのでした。木谷さんが息子さんに囲碁入門の手ほどきをされている間、細見さんと東川さんと私で別室であれこれ話していました。

いつもこの会に参加下さっている東川さんは、かつて日本脳外傷友の会(現在の日本高次脳機能障害友の会)の理事長で、高次脳機能障害だけにとどまらず、障害全般を見渡された広い視野からご活動され、情報提供をして下さってきました。コウジ村の名誉村長でもいらっしゃいますし、私は何かというと東川さんに相談しては教えて頂いています。

昨日はその東川さん、細見さんというすごい大先輩の方々を前にして座り、これから作る動きのある高次脳機能障害支援法についてなどのお話も伺ってきました。

ほかの別室では心の唄コンサートが始まり、コウジさんは囲碁を終えるとそちらへ行ったようです。当事者の高山仁志さんのバイオリンが、さらに磨きをかけて素晴らしくなっていたとのこと。

いつもなら私もコンサートを堪能させて頂くのですが、昨日はそのほかにも気になることがあり、細見さんが帰られたあとは、そちらにいたのでした。この会には高次脳機能障害者だけでなく、視覚障害者、聴覚障害者、難病の方、そして身体障害者など、色々な障害や病気の方も来られます。その中に晴也君という17歳の車椅子に乗った重複障害の青年がいて、晴也君は言葉がうまく話せず足は使えず手もほとんど動かせないけれど囲碁が好きです。

2年前くらいには、視線入力で囲碁をする試みをこの会でしていましたが、お母様の話によると、晴也君は頭が動いてしまうので、うまく使えなかったとのこと。そこへ今回、中川氏という特別支援学校の教諭が、「できipad2」というものを持ってきてくれ、普通のスイッチボタンではなく、晴也君に適した棒スイッチで囲碁をしてもらっていたのです。晴也君は手首をそのスポンジのような棒にぶつけ、置きたいところに碁石を置いていました。

私は非常に興味を持ってその様子を見ていましたのですが、操作は慣れるまで大変そうなものの、コツがわかれば晴也君はこの機械で囲碁を勉強したり楽しんだりできそうだ、と思いました。ロボット相手の対局で負けると、晴也君は「負けた~」ととても残念そうでした。

すると晴也君は、中川氏にその装置でオセロをするようにお願いしました。お母さんは、「相手のロボットは強いので、人が負けるのを見て喜ぶんですよ。」と笑いました。
案の定中川氏は負け、晴也君がひゃっひゃっと満面の笑顔で喜ぶのを見て、皆で大笑いしました。

世の中の技術はどんどん進歩していて、この機械でも晴也君は囲碁をできそうですが、あと3年、5年とたてば、もっと楽に囲碁ができる機械が作られているような気がします。そういう技術開発の仕事をされている方は、障害や病気の方がたにに生きる希望や喜びを与えてくれる、すごく有難い方々だなあ、と思いました。
晴也君が、楽々と囲碁をできるようになればいいなあ、と心から願いました。

そういう装置を見ていると、どうしても3年半前に亡くなった父のことを考えてしまいます。
パーキンソン病で最後は話したいのに話せなくなった父と、亡くなるまでの数か月、もっと色々話したかった・・・と残念でなりません。父は何を考え、何を話したかったのだろう・・・。そういう装置があったら、父も喜んだろうなあ。私も嬉しかったろうなあ。装置はあったのかもしれないけれど、存在や入手方法は全く知りませんでしたし、教えてくれる人もいませんでした。

気仙沼講演と仙台講演のチラシが届きましたが、今日はもう充分長くなりましたので、明日書きます。

それではおやすみなさい。