この間の雨ふりの日曜日、新宿にある「k's cinem a」という映画館へ行ってきました。
伊勢真一監督の「えんとこの歌」を見るためです。

コウジさんと行くつもりでしたが、雨でしたし、新宿は家からはちょっと遠いし、人混みもすごいだろうし、コウジさんが疲れてはいけないので、1人で行きました。コウジさんも家にいられるとなると、ほっとした表情で「行ってらっしゃ~い!」と機嫌よく私を玄関で見送りました。
家には娘のワッチ、犬のウメ、猫のハルとチーがいるので、コウジさんは寂しくないですし、ワッチがコウジさんのことを見張ってもくれます。子どもっぽくなったコウジさんは犬猫をからかっていじめたり、不注意から家から脱走させたりするので。しかも、面倒で捕まえに行かないんですからね。1人で留守番してもらうのは、実は私は心配でたまらないんです。

その日の上映会は、新聞記事に掲載されたり、宍戸大裕監督とのトークもあるので、80人ほどの劇場がいっぱいで入れなくなると困ると思い、早めに着いて1番前の席に座りました。でも、車椅子の方が増えてきたら後ろに移ろうと思っていました。

ところが、私の予想に反して、観客数が少なかったので驚きました。3連休ですから皆さん遠出されているのかもしれませんし、朝から雨が結構降ってたので、車椅子や身体に障害がある方、ご病気の方は外出をやめられるでしょうし、仕方なかったかもしれません。でも、すごく良い映画ですので、もっと沢山の方に見に来てほしいです。

「えんとこの歌」は、遠藤滋さんという脳性まひで30年以上寝たきりの生活を送られる方(伊勢監督の大学時代からの友人でもあります)を追いかけたドキュメンタリー映画です。「えんとこ」とは、「遠藤滋のいるところ」「縁のあるところ」をひっかけた造語だそうです。1999年公開の「えんとこ」の続編だとのことで、映画の中には遠藤さんが書かれた短歌が沢山ちりばめられていました。

自分の行きたいところへ自由に行けない、ということはとても残念なことだとわかります。
私の亡き父が、パーキンソン病が進んで歩けなくなった時、「なにが困るって、自由に行きたいところへ行けないことが困る。」と言ってました。車椅子に乗せて、これからあちこち連れて行ってあげようと思っていたけれど、私には高次脳機能障害のコウジさん、犬猫、大学受験期のワッチがいて、私は身動き取りづらく、何もできないうちに父は病院で逝ってしまいました。そんなに早く逝かれるとは思っていなかったので、考えるとつらくて悲しくて、いまだに毎日後悔や寂しさに落ち込んでいます。

・・・話が横道に逸れました。
でも、この映画に出てくる遠藤さんは、どうしてどうして、全然弱々しさを感じられません。それどころか、大きな黒目がちの目が発する生命力に圧倒されますし、沢山の介助者に毎日囲まれての笑顔、特に海の中を介助者に支えられながら右足、左足、と動かないはずの足が動いた時のあの豪快な、嬉しくてたまらないというような笑顔は印象的です。 ただ、朝遠藤さんの足を襲う痛みは、壮絶そうで、見ているこちらも体に力が入り、一緒に痛みに耐えている気になりました。

遠藤さんは、病気が進んで声が出なくなってからは、短歌を作るようになりました。
その歌1つ1つが、また胸に沁みるんです。思わず歌がおさめられているパンフレットを買ってきました。

介助者の方たちもユニークで、真剣で、奥深いものを持たれた魅力的な方々ばかり登場されました。
いえ、遠藤さんのところに来て、そのように元々持っていた魅力が引き出されたのかもしれません。

真っ暗な映画館で、私は思わず自分のバッグから手探りでメモ帳とペンを取りだすと、ちゃんと字が重ならずに書けているか確認できないまま、映画の中で次々語られる珠玉のような言葉の数々を書きとめていました。

以下、順不同で書きとめられたものだけご紹介しますが、実際の言葉そのままではなく、私が勝手にまとめていたりします。

遠藤さんの言葉 : 「人に迷惑をかけること。それは大いに必要なことである。」「僕のハンディを武器とせよ!」「粘ることしか、武器はなかった。」

介助者の言葉 : 「カッコ悪いところを見せ続けるカッコ良さ」「遠藤さんが全てをさらけ出しているのに、(排泄などの介助を)無理です、なんてみっともなくて言えない。」「予定があるのはいいことだな。(遠藤さんのところへ来るまでは)予定なかったですよ。」「ここは自分の居場所だ。」「バイトだと面倒だ、休んじゃえ、となるところを、介助だと絶対それはない(休めないから.
。介助に行かないと、遠藤さんは死んじゃうから)。」「ここへ来て自信ついてきた」「ここにいる人はみんな、ここで人生ぼろぼろ出てきてしまう。」「どうしても必要な人がその期間ここへ来る。」「遠藤さんの居場所であると同時に、ここへ来る人の居場所でもある。」「今まで感じなかった、”生きてる”実感がすごくある。」「介助の仕事は人間関係だ。」「寄り添う より 寄り合う。」「来る人は心開いているので、遠藤さんは構える必要がない。」

~映画のあとの伊勢監督と宍戸監督のトークから~
重度訪問介護従業者の資格を持つ宍戸さん : 「伊勢さんの映画は、漢方薬のように、じわっと効いてくる。」「縮こまらせる社会で、伊勢さんの映画を見ると、ほっとする。」「遠藤さんのところへ来ると、リセットするという介助者がいるけれど、そこ、わかるんですよね。僕も非力な人の空間に入ると、リセットするんです。」「伊勢さんの映画には人間肯定がある。」・・・

伊勢監督 : 「人でも風景でも、撮影するのに基本的に肯定感がないと撮れない。”寄り添う”は一方的。”寄り合う”という関係になれた時、「やっと撮れたな。」と思う。」「見てる人の肯定感を引き出していく。徹底的に肯定して見ていくと、きれいな光景が撮れたり。映像だから、言葉で伝えきれないことが伝わる。」
「この映画に通底しているもの、それは、弱さの力というより、弱さの方にこそ力がある、ということ。」「弱いことがほかの人の力を引き出してくれる。ほかの人が助けてくれる。宍戸さんの作品にも、じわっと流れている。」

宍戸監督 : 「介助に初めて入った人が、”怖かった”と言うのが印象的。初めて会う人は、僕も怖い。ALS患者の方には、自分が見通されている感じがある。でもその「怖い感情」は大事なんじゃないか、と思う。ちょっとしたきっかけでちょっと近づいてみると、その怖さの中身が見えてくる。だから近づいて欲しいと思う。」

伊勢監督 : 「是非若い人にこそ、見せたい映画です。勿論、お年寄りにも見せたい(笑)。」

私はこの映画を見ながら、『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著)の主人公、筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さん(2002年に逝去)を思い浮かべていました。(原作は読みましたが、映画化された映画は見ていません。)

鹿野さんも、札幌のケア付き住宅で一人暮らしをされていましたが、その生活は大勢の介護ボランティアによって支えられていました。遠藤さんの介護をされている方々は、お金をもらっているのでそこは違いますが、鹿野さんも遠藤さんも、介護される人とする人の間に上下関係はなく対等で濃密な人間関係を築かれている点、胸を張って堂々と生きている点、けれど介護してくれる人を見つけるのが大変な点などが同じだなあ、と思いました。

今月26日で、あの津久井やまゆり園事件から3年になります。事件を伝えるテレビの映像も、この映画には出てきます。事件を受けて遠藤さんが作った短歌の数々も。

「えんとこの歌」が新宿のほかに、名古屋、広島、横浜、綾瀬、渋谷・・・と7月に上映が多いのは、伊勢監督の言葉を借りるなら(HPの中の、「監督のつぶやき」より。https://www.isefilm.com/ )・・・

「7月に集中して映画が公開されるのには、理由があります。3年前の7月26日、神奈川県相模原市で起きた陰惨な出来事、寝たきりの障害者が大量に殺傷された事件のことを忘れてはいけない、考え続けよう、、、という思いがあるからです。7月26日前後に「相模原での出来事を忘れないために」と、連続上映会も企画しました。

7月26日(金)渋谷・LOFT9 SHIBUYA T03(5784)1239

7月27日(土)相模原・相模女子大学マーガレットホール T090(1557)3838

7月28日(日)相模原・橋下ソレイユさがみ T080(5494)3439

7月29日(月)世田谷・梅ヶ丘パークホール T080(3483)3811」

※詳しい上映情報は、HPをご覧下さい。

皆様、是非見に行かれて下さいね。