あれほど容姿端麗で、あれほど才能豊かで、誰からも好かれる人気者で、まだ30歳という若さで、これからまだ50年は生きられたというのに、なぜ自ら人生に終止符を打ったのでしょうか。

あんなに順風満帆そうに見えた人に、一体、どんな心の闇があったのでしょうか。

私がここ数年で、一番衝撃を受けた出来事かもしれません。
大体の起きた出来事は、理由や原因がわかり、自分の中で納得できるものなのに、今回のことは全く、私の想像や、勝手な思い込みすらを越えたできごとだったからです。予測もできなければ、推定もできません。そんなことが起こるはずがなく、起きたことが信じられないのです。

表からは全く見えなかった彼の苦しみを、誰もわからなかったのでしょうか。
ということは、彼は誰からもわかってもらえていなかったのでしょうか。・・・近しい人々からにさえ。

それは、すさまじいほどの孤独ではないでしょうか。

それに彼は、誰にも相談しなかったのでしょうか。

いくつか専門家や親しい人の、彼の死についてのコメントを読んでいて、死の衝動が起きても、30分我慢するとその衝動は遠のく場合がある、という言葉に頷きました。

私にも15年前のあの日、突然死にたくなった瞬間が訪れました。

死にたくなった理由には、毎日が苦しくてたまらず、朝起きても絶望しかなく、こんな苦しいくらいなら死んだ方がマシだ、と急に思えたこと。 誰も助けてくれない、私の苦しみに気づいてもくれないという、周りへの恨みもありました。私が死んだら、どれだけ私がつらかったか、初めてわかってくれるのかもしれない、という期待もありました。
たとえわかってもらえても、その時には私は死んでいるので、嬉しさも感じなかったのですが。

ともかく、死ぬことを決めた瞬間から、もう私を止めるものは何もない、と妙に吹っ切れた気持ちで、首を吊るところを探して、家の中を目が泳ぎました。
そしてその私の目が、あるものを通り過ぎようとし、また戻したものがありました。それは電話でした。

私はその時1人でした。やはり、すさまじいほど孤独でした。この世の誰にも、未練はありませんでした。ただ1人を除いて。

それは、母でした。

そうだ、母にだけは「さよなら」を言おう。私を生んでくれ、育ててくれた母に何も言わずに死ぬのはしのびない。

そう思い、死のうと家の中をふらふら歩いていた私の足は電話に向かい、受話器を手に取り、母に電話したのでした。

母と会話していると、受話器の向こうの母の朗らかな、笑いさえ含んだ言葉に、憑き物が落ちて行くのを感じました。そして私は死ぬのをやめたのでした。衝動が、私から離れた瞬間でした。

やはり、「死のう」と思ってから30分も経っていませんでした。
そしてそれ以来幸いにも、私に死の誘惑は訪れていません。

春馬さんは、最後の別れを言おうと思う相手がいなかったのでしょうか。
もしその人に電話して、二言三言言葉を交わしていたなら、死なずに済んで、これから50年生きていられたのではないか、と思えてなりません。俳優を辞め、やりたかったという農業をしながら。

あるいは、春馬さんは、もう知っている全ての人に、「さよなら」を心の中で言ってしまっていたのでしょうか。

こう書いていますが、私は春馬さんのことは、詳しくは知りません。
このブログにコメントをよく下さっていた1人の女性が、春馬さんのファンでしたので、その時初めて知ったのだから、それでももう10年くらいになるのかもしれませんが。

才能があり、美男子で、浮ついたことを言わない、真面目な、好感を持てる人でした。

亡くなるつい数日前も、夜遅くテレビのチャンネルを回していたコウジさんが、春馬さんとJUJUさんが話している番組で、手を止めたのを、新聞を読んでいた私はちら、と横目で見ました。

そして、そこでそつなく話す春馬さんを見て、(ああ、彼は司会もするんだな。何をやってもできて、すごいな。)と感心したばかりでした。

きっと私は、いつの間にか春馬さんのファンになっていたのでしょう。

若い、美しい、才能豊かな、強い魂が失われたことは、大変残念で勿体なく悲しいことです。

できれば、重圧と多忙から解放され、のどかな自然の中で悠々と畑を耕して、ふと額の汗を腕で拭く時の、彼の輝く笑顔を見たかったです。

合掌。