この10年、正確に言うなら『日々コウジ中』が世に出てからというもの、家の中にたまった様々なものを整理しているところです。いわゆる「断捨離」というものでしょうか。

片づけを始めた理由は、特に大きな持病がなくても、今回のコロナで50歳代でも死ぬことがあるんだなあ、と思ったのがきっかけで、私が突然そうなった場合、残されたワッチが処理に困ると思い、捨てられるものはどんどん捨てているわけです。

自分の講演資料、講演先で頂いた各地の情報満載の資料(しかし古くなっている)、領収書、請求書のコピーなどは捨てる方に。直接、あるいは出版社を通して頂いたお手紙は捨てず、とっておくほうに。 

また、写真の整理もしていて、特に娘のワッチ(今はワシ→要するに、自分のことを呼ぶ時娘はこう言う。それが『日々』に出てくる娘のキャラクター名になったのです)が生まれて24年の間にたまった写真の膨大なこと。その中からチョイスしたものを、アイパッドで二重撮りしてアイパッドの中に取り込んでいます。スキャンする時間がないし、アイパッドでの二重撮りでも、結構よく撮れるので。

そんなことをしている理由は、もし首都直下地震が来て(いつ来てもおかしくない)、近隣から火災が発生、我が家も全焼した時に何がなくなると惜しいかというと、命以外は写真だと思うので、データとしてアイパッドに保管しておくのです。今までの私達家族の記録ですから。まあ、ワッチにあげようと思っているのですが。

東日本大震災では、亡くなられた2万人もの方たちが写っていた写真も津波で流されたのかと思うと、残された遺族の悲しみは、どんなに深いことでしょう。

写真整理は、時間がかかります。1枚1枚に思い出があり、くすりとしたり、ほんわかしたり。
コウジさんが病気になる前と後、というのも1つの区切りになっています。
これは病前の、ごく平凡だけど幸せだった頃のもの。ここからは、くたくたになって途方に暮れ涙にも暮れた頃のもの。 そして今またそれなりに、平穏な日に戻ってきています。
もちろん、コウジさんが病気になっていなかったら・・・と思うことはありますが、そんな時はこういう母の言葉が聞こえてきます。

「コウジさんが病気になったから、あなたは色々なことができたのよ。コウジさんが病気にならなかったら、なんにもない、つまらない一生だったわよ。私は平凡だったけど、何もないつまらない人生だったと思うわ。なにかあった方がいいのよ。」と。

私を元気づけるためにそう言ってくれている面もあると思うのですが、そう言われると、「そうお?でも疲れたよ!」と憎まれ口をつい叩いてしまう私です(苦笑)。

はい、コウジさんが奇跡の生還をしてくれたおかげで、この10年、色々な素晴らしい方と知り合えました。コウジさんのおかげです。有難う。

先週はコウジさんの定期的な受診がありました。
病院が、すいていました。
みんなコロナにうつるのが怖くて、病院へ来るのを控えているのでしょうか。

ためしにコウジさんに先に歩いてもらうと、やっぱり彼は迷い、なんと2階へ行こうとしてエレベーターを待っていました。 なんで2階? 今までこの病院に15年通っているけれど、地下(リハビリ)や1階(脳神経内科)へ行くことはあっても、2階は病棟だよ。入院している人たちしかいないよ。まったく、コウジさんの脳って、どうなっているのかわからないなあ。

診察の時に私がぶうぶうそれを言うと、主治医のW先生もコウジさんに向かい、「なんで2階へ行こうとしたんですか?」と聞きました。コウジさんは腕組みして目をつむり首をひねりながら、「なんでかなあ。なにかあると思ったのかなあ。」と言うだけで、一向にはっきりした答えが出てこないので、W先生は諦めて次の質問に移りました(笑)。

私はW先生にあれこれ質問しました。たとえばワクチン。「脳血管障害になった人はコロナにうつったら重症化しやすいと言いますけど、コウジさんはワクチンを打った方がいいのでしょうか?私自身は打たないつもりなんですけどね。」「脳血管障害になった人は、またコロナで再発するでしょうか?」「コウジさんがコロナにうつっても私が世話できますが、私がコロナにかかったら、コウジさんはどうなるんでしょうか?朝1人で起きて、会社へ行くことができないかも。もうなるようにしかならないでしょうか?」などなど。

W先生はそれぞれの質問に簡単に答えて下さいましたが、まあコウジさんはワクチンを打ってもいいんじゃないかということとか、再発するとかそのへんはまだわからないんだよね、とか、私がコロナにうつったらコウジさんは濃厚接触者になるから会社へ行けませんね、とか。もっとじっくり考えてみれば、そうでした。 私が入院でもしたら、家に残されるコウジさん(と犬猫)の世話は、若いワッチにお願いするしかない。ああ、ワッチがいてくれて良かった。多分若いから重症化しないよね(とも限らないけれど)。 これ、家族がいない人は、障害や病気を持っていなくても大変です。自宅療養していて急に症状悪化してしまった場合、誰が助けてくれるのでしょう。命が関わる問題なので、友人知人、地域の人など、日頃から最低限の繋がりを持っていることが必要です。コロナで、繋がりの重要性が改めてわかりましたね。今からでも頼れる知り合いを作りましょう!頼り、頼られ、支え、支えられるのが人間なんですから、当たり前のことです。

さて、コウジさんが病院内で迷ったり、トイレから戻って来られなかったり、人がそばにいるのにむせたりで、コウジさんの一挙一動にカリカリしていた私は、W先生の診察時にもカリカリしていて、コウジさんのパルスオキシメーターの値が低い(92とか80台とか)理由について聞くのを忘れてしまいました。次回の受診は8週間後になりますが、その時聞きます。それまでコウジさん、具合悪くならないでね。多分、ずっとコウジさんはこの値できたのだと思うから、大丈夫と思います。

今日、目黒区の東京医療センターで、ファイザー製のワクチン接種を始めたという映像が、朝のワイドショーやお昼のNHKニュースで報道されました。 東京医療センターは、私が好きな病院です。かつて婦人科系の病気になった時、この病院で手術入院したことがありますが、とても良い医師でしたし、明るくきれいな病院で居心地も良く、4人部屋の病室で仲間もでき(いまだに年賀状交換続いています)、良い印象しかありません。 そこの院長先生が日本で最初の接種者になられたということ。言葉は悪いけれど実験台のように思えて、胸がつぶれる思いでした。そして、(絶対副反応が出ませんように、何十年も出ませんように。)と願いました。でも院長先生はそういう(実験台という)意識はなく、医療職として必要で当然のことという毅然とした態度でいらっしゃった。頭が下がります。

そして、次々打たれていく医師や看護師さん、リハビリ職、事務職の方たち。私は言葉を失って、テレビを見ていました。大きな病院内での接種なので、もしアナフィラキシーショックなどの突然の副反応が出てもすぐ対処できるのだと思いましたが、こういう接種場面が報道されるのは異様な気がしました。私のような、「(現時点では)打ちたくない。」と思っている人たちには、大事で感謝すべき存在の医療職の人たちが率先して打たれていく姿は、やはり衝撃的です。こんな立派な先生が打たれるのだから、自分も打たなくてはいけないんだろうか、という気に、正直させられます。そのための報道でもあると思うのですが、どうしたものか・・・。

ワクチンに関するご著書がある知り合いの方に、今回のワクチンのことでメールしています。今のところ私と同じく、打たないご意向でした。また、近所の犬友達のご主人が、新聞やテレビに出演される高名なクリニックの院長先生なので、ウメの散歩で会う時に、その犬友達にワクチンについてどうしようと考えているか尋ねました。「主人は、打つの嫌だなあ、と言ってる。たとえ副反応が何万人かに1人と言っても、その1人になるかもしれないし。私も嫌だなあ。」 
もう1人の犬友達の元大学教授にも、ウメの散歩でお会いした時に、同じ質問をしますと、「打たないね。」と答えました。 ・・・犬を飼っていると、出会うことのなかった人たちと知り合え、仲良くなれますよ。ほかにもいっぱい犬友達はいます(50人くらい)。

その元大学教授の奥様は、こちらも高名な女性社長で、女性活躍に関するご著書もあります。森元首相に読んでもらいたいわね。
ご主人が打たないと、奥様も打たないのかな。でも会社社長が打たないと、社員も打たないだろうから、立場上打たれるのかな。いや、そんなことで命に関わることを決めてはいけないから、どうされるのかな。もしご夫婦で意見が分かれると、喧嘩にならないのかな。なんて余計なことも心配してしまいます。

ほかの、持病のある高齢の知人にも尋ねますと、「最初はどうしようか悩んだんだけど、主治医が打った方がいいと言うので、私は打ちます。」と答えられました。みんな、まちまちです。

昨日は私の頭の診察があったので、毎日のようにコロナ話題で医師や院長先生がテレビ出演されている大きな病院へ行きました。こちらは普通に混んでいて、「PCR検査ですか?」と誰かに尋ねる看護師さんの声にびっくりしました。 (え、感染している可能性のある人がそばにいるの?)とヒヤヒヤしながらそっちを見ますと、そこは「入院受付」で、入院前にPCR検査を受けることが必須のようでした。 「自覚症状は?」と聞く看護師さんに、「ありません。」と答える元気そうな男性。必要事項を書面に書くように指示され、記入していました。ふう~、驚いた。

私は1年前に頭が朦朧として、ワッチの機転でここに救急搬送されました。その後数か月ごとに検査したり問診受けたりしてきましたが、相変わらず頭の不調を訴える私に、医師は来月に再度脳ドッグ(MRI)の予約をしてくれました。・・・このあたりの話は少々長くなりますので、また(数日後)にさせて下さい。

なんだか色々滅入ることの多い今、聴いているCDは、さだまさしさんの『存在理由』です。 この最後に入っている「一粒の麦」は、アフガニスタンで凶弾に倒れた医師の中村哲さんを歌った曲です。とてもいい曲ですよ。聞いていると悲しくなりますが。

中村哲さんのご著書や、中村哲さんのことを描いた絵本も買いましたが、すごく忙しくてまだ読めていないという恥ずかしさ。中村哲さんのことは勿論存じていましたが、いつかはこんなことになることを覚悟されて、それでもアフガニスタンの人たちのために働かれていたのでしょうか。まさかそこまではならない、とアフガニスタンの人たちを信じていたのでしょうか。どちらにしても、このような素晴らしい人を撃つなんて、その愚かさに腹が立ち、悲しくてやりきれません。
でも、さだまさしさんの「一粒の麦」を聞くと、中村さんの魂はずっと私達皆の中に受け継がれていくのだろうという気がし、安らぎます。そして、歌詞にあるように、そうだ、自分もできるだけのことをすればいいんだ、と思います。無理はせずに。

中村哲さん


ではまた。