ご無沙汰しました。
一昨日、無事父の葬儀を済ませました。
父が亡くなってからというもの、葬儀の準備を進めながら、父が安置されているお寺へも毎日のように通い、眠っている父と会ってきました。
私も父も、父がまさか年内に亡くなることになろうとは思っていませんでしたので、色々な思いが交錯し、私はまだ水の中を歩いているような気持ちです。
亡くなる2週間前には胃瘻の手術を受け、体力回復を目指していた父。
病室の壁には、明日から始まる新年1月の大きなカレンダーを私に貼らせた父。
常に前を向き、生きることを決して諦めなかった父を誇りに思っています。
焼き場の関係で、父が亡くなってから葬儀まで時間があいたので、当初は5人くらいの家族葬で送る予定が、親戚や親しかった友人も都合をつけて参列下さり、思っていたより賑やかな葬儀となりました。 沢山の花に囲まれた父も、きっと喜んでいただろうと思います。
父がパーキンソン病を発症してから3年余り、結婚して家を離れていた娘の私にとって、思いもかけず父と一緒にいる時間が増えました。
特に自宅に父を連れてきて、夫コウジさんと娘ワッチ、愛犬ウメと愛猫ハルと共に過ごした2か月ちょっとの時間は、今思うと、大切な宝物の時間でした。
パーキンソン患者、しかもヤール度5(最重度)である父の世話は、思っていた以上に大変で、私が悲鳴をあげることもしばしばでしたが、優しい夫コウジさんが父との毎日の晩酌相手となってくれたり、父の私への愚痴の聞き役になってくれたりしました (私は決していつも父に優しい言葉をかけてばかりいたわけではなく、注意したり怒ったり、説得したり、口うるさかったと思います)。
一方、父に私の手料理を食べてもらったり、色々話ができたり、良かったなあ、とつくづく思います。
(その後誤嚥性肺炎で入院、老健でのリハビリ、と父の生活の場は移っていきましたが、あくまでも 「良くなるための」 場所を選んでいった結果です。)
葬儀では、この3年間の闘病(リハビリ)の様子だけでなく、父が81年前に生まれてから今までの軌跡を、手元にある写真を入れながら綴ったものをA4用紙18枚にまとめ、集まってくれた方がたに配りました。
その作業のために、父の写真がもっと欲しいからアルバムがないか、母に何度聞きましても、「あらあ・・・ どこにあるかわからない。」という頼りない返事ばかりだったので、もう時間もないことなので諦めて、あるだけの写真を整理し、パソコンでスキャンして、娘のワッチに教わりながら貼りつけて、紙も写真の発色がいい紙をアマゾンで取り寄せて、18枚を閉じるファイルを葬儀前夜の7時半にお店に駆け込んで用意し、葬儀当日の深夜1時に完成した時は、嬉しかったです。
また、喪主は母にしたものの、母はアルツハイマーで勘違いばかりでまともに話せませんし、仕事で忙しい兄より自由な時間がとれる私がこの3年間の父のことをよく知っていますから、葬儀での挨拶は、私が述べることにしました。 講演では原稿を読まない私ですが、大事な葬儀で言い忘れがあると一生後悔しますから、原稿を用意しました。
思いのままに書き上げた原稿は、A4で8枚でしたが、葬儀担当者の方から、「8枚はちょっと多いです。」と言われ、深夜1時から急遽3枚に書きなおし始めました。それができたのが午前2時。 葬儀当日まで、本当にバタバタと過ごしました。
けれど葬儀でその父の生涯をまとめたファイルを配りますと、皆さんとても喜んでくれました。 大げさなことを嫌がる父も、きっと困惑しながらも、喜んでくれていると思います。
なにより、昨日も実家に母の様子を見に、食べ物を抱えて行きますと、母はずっとそのファイルを読んでは喜んでいるようでしたから、良かったと思いました。
まだまだ書きたいこともありますが、今日は大晦日で、やることがいっぱいあるので、このへんでやめておきます。
本年は最後に最愛の父の死、という悲しいできごとで終わった1年でしたが、常に強い意志とともに前進あるのみだった優しかった父の気配を背後に感じつつ、新しい年も邁進していこうと思っておりますので、宜しくお願い致します。
皆様にとっても、来年が良い年になりますように!
一昨日、無事父の葬儀を済ませました。
父が亡くなってからというもの、葬儀の準備を進めながら、父が安置されているお寺へも毎日のように通い、眠っている父と会ってきました。
私も父も、父がまさか年内に亡くなることになろうとは思っていませんでしたので、色々な思いが交錯し、私はまだ水の中を歩いているような気持ちです。
亡くなる2週間前には胃瘻の手術を受け、体力回復を目指していた父。
病室の壁には、明日から始まる新年1月の大きなカレンダーを私に貼らせた父。
常に前を向き、生きることを決して諦めなかった父を誇りに思っています。
焼き場の関係で、父が亡くなってから葬儀まで時間があいたので、当初は5人くらいの家族葬で送る予定が、親戚や親しかった友人も都合をつけて参列下さり、思っていたより賑やかな葬儀となりました。 沢山の花に囲まれた父も、きっと喜んでいただろうと思います。
父がパーキンソン病を発症してから3年余り、結婚して家を離れていた娘の私にとって、思いもかけず父と一緒にいる時間が増えました。
特に自宅に父を連れてきて、夫コウジさんと娘ワッチ、愛犬ウメと愛猫ハルと共に過ごした2か月ちょっとの時間は、今思うと、大切な宝物の時間でした。
パーキンソン患者、しかもヤール度5(最重度)である父の世話は、思っていた以上に大変で、私が悲鳴をあげることもしばしばでしたが、優しい夫コウジさんが父との毎日の晩酌相手となってくれたり、父の私への愚痴の聞き役になってくれたりしました (私は決していつも父に優しい言葉をかけてばかりいたわけではなく、注意したり怒ったり、説得したり、口うるさかったと思います)。
一方、父に私の手料理を食べてもらったり、色々話ができたり、良かったなあ、とつくづく思います。
(その後誤嚥性肺炎で入院、老健でのリハビリ、と父の生活の場は移っていきましたが、あくまでも 「良くなるための」 場所を選んでいった結果です。)
葬儀では、この3年間の闘病(リハビリ)の様子だけでなく、父が81年前に生まれてから今までの軌跡を、手元にある写真を入れながら綴ったものをA4用紙18枚にまとめ、集まってくれた方がたに配りました。
その作業のために、父の写真がもっと欲しいからアルバムがないか、母に何度聞きましても、「あらあ・・・ どこにあるかわからない。」という頼りない返事ばかりだったので、もう時間もないことなので諦めて、あるだけの写真を整理し、パソコンでスキャンして、娘のワッチに教わりながら貼りつけて、紙も写真の発色がいい紙をアマゾンで取り寄せて、18枚を閉じるファイルを葬儀前夜の7時半にお店に駆け込んで用意し、葬儀当日の深夜1時に完成した時は、嬉しかったです。
また、喪主は母にしたものの、母はアルツハイマーで勘違いばかりでまともに話せませんし、仕事で忙しい兄より自由な時間がとれる私がこの3年間の父のことをよく知っていますから、葬儀での挨拶は、私が述べることにしました。 講演では原稿を読まない私ですが、大事な葬儀で言い忘れがあると一生後悔しますから、原稿を用意しました。
思いのままに書き上げた原稿は、A4で8枚でしたが、葬儀担当者の方から、「8枚はちょっと多いです。」と言われ、深夜1時から急遽3枚に書きなおし始めました。それができたのが午前2時。 葬儀当日まで、本当にバタバタと過ごしました。
けれど葬儀でその父の生涯をまとめたファイルを配りますと、皆さんとても喜んでくれました。 大げさなことを嫌がる父も、きっと困惑しながらも、喜んでくれていると思います。
なにより、昨日も実家に母の様子を見に、食べ物を抱えて行きますと、母はずっとそのファイルを読んでは喜んでいるようでしたから、良かったと思いました。
まだまだ書きたいこともありますが、今日は大晦日で、やることがいっぱいあるので、このへんでやめておきます。
本年は最後に最愛の父の死、という悲しいできごとで終わった1年でしたが、常に強い意志とともに前進あるのみだった優しかった父の気配を背後に感じつつ、新しい年も邁進していこうと思っておりますので、宜しくお願い致します。
皆様にとっても、来年が良い年になりますように!
コメント
コメント一覧 (4)
ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。
礼さん、激動の1年でしたね。どうかご自身を労わってくださいね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
しばらくは放心状態でしょうが、疲れは十分取って下さいネ。
私も主人の葬儀の時は、私たちの若い時の結婚式から写真をピックアップしてパネルを作り、斎場に掲げました。
子どもが小さい時から、くも膜下出血の後の静養中の坊主頭のもの、孫を抱いている姿、そして最後は散歩の後ろ姿で締めくくりました。
葬儀屋さんもとても感動し、自分のブログに書かせてくれと言われたほどでした。
会葬御礼も礼さんがなさったのね。ほんとうに頑張りましたね。しっかりお見送りしましたね。
うちも私は名ばかりの喪主で、ほとんど長男が頑張って行ってくれました。30歳代で父の葬儀もなかなか大変だと多くの方が言って下さりましたが、ひょっとしたらあの重症なくも膜下出血の時、長男は中学生だったので、一人前に成れた今でよかったという思いの方が強かった。少々普通より若めでの大役は、父からの宿題だと思っております。
《常に強い意志とともに前進あるのみだった優しかった父の気配を背後に感じつつ》そうです、いつもそばに居てくれていますよ!
私もそろそろ夫を亡くして半年ですが、その気配は今もすごく感じます。
大丈夫ですよ。見守っていて下さりますよ。
有難うございます。
父は老いるということについて、沢山のことを教えてくれました。これからその教えを胸に、生きて行こうと思いますよ。
ころ太郎さんも、引っ越ししたてで体調崩されませんように。新しい地で、沢山の良い出会いがありますように。
リンリンさんも、ご主人の葬儀の時、そのようなものを作られたのですね。 リンリンさんのご主人も、老健から退所して自宅に戻られる直前でしたから、驚きました。でも、今は素敵な笑顔でほかのコウジ村の方達のことを思いやり、人の為に動かれていて、有り難く思います。私もリンリンさんのように、自分のことだけでなく、人のために動きたいと思います。
そういえば、コウジ村のくーさん(ルルさん)のご主人が亡くなられた時も、思い出の写真が次々流され、しかもご主人の好きだった小田和正さんの歌声が会場に流れていて素敵なお葬式でした。
私も無我夢中でファイルを作って配りましたが、そういう作業は実は自分の心を落ち着かせるためのものでもありますよね。 お葬式自体、残された家族や親戚、友人知人のためでもありますね。