23日は、埼玉県鶴ヶ島市で講演会でした。
電車に乗って鶴ヶ島へ向かっていると、20年前に住んでいたことのある和光市を通りましたが、電車の窓越しから見た駅前の風景の変貌に驚きました。20年前はこんなに賑やかではなく、イトーヨーカドーくらいしかなかったのに、大きなホテルがそびえ建っていました。
娘のワッチが生まれてからは、家族3人、近くの樹林公園や光が丘公園をよく散歩したもので、良い環境のところでした。今そこに住んでいたなら、愛犬ウメが喜んで散歩できそうなところがいっぱいあったので、残念。今住んでいるところは、大きな公園はおろか、小さな公園も数えるほどしかなくて、自然もない、アスファルトと家ばかり。犬もつまらないだろうけれど、子どもたちにとってもつまらないと思います。世田谷区はもっと公園を作って欲しいわ(なので、ウメの散歩にはいつも近くの大学キャンパスまで行っています。そこなら少しは自然があるので)。

ずっとそこ(和光)でも良かったのですが、以前ブログにも書いたように、愛猫おはぎちゃんがマンションの6階の部屋から落ち、娘まで落ちては大変だ、と引っ越したのでした。(これもブログに既に書きましたが、おはぎちゃんの落ちた日は春一番の強風がひっきりなしに吹いていたこと、落下地点は新築マンションだったので芝生を植えたばかり、水田状態のぬかるみだったこと、が幸いし、無傷だったのでした。おはぎちゃんはそれから18年生きましたので、本当に何の影響もなかったのです。運が良かったとしか思えません。)(私たちが住んでいた部屋は角部屋でしたが、一か所だけ柵のない危ない窓があったのです。)

電車内で路線図を見ていますと、鶴ヶ島の先には高坂がありました。高坂という地名も、なつかしく胸に響くものです。というのは、コウジさんが病気になる前は、コウジさんの運転でよく実家のある花園インターまで関越を走ったのですが、距離が長いので、必ず高坂サービスエリアで一休みしたのです(私は運転下手なので、関越は乗りません)。
「今、高坂まで来たよ。」と連絡すると、「そうか。」と答えていた、私たち夫婦が来るのを楽しみにしてくれていた優しかった義父も、ワッチが生まれて2週間後に亡くなりました。最後に初孫の頭を撫でられて、涙を流して喜んだ義父。胃がんのため60歳になってすぐ亡くなりましたから、今55歳のコウジさんも健康にさらに気を付けないと。最近おなかがとても出てきているのが気になりますが、来週会社の健診があって良かった。
・・・ そんなわけで、鶴ヶ島に着くまでに、すっかりおセンチな気分になっていた私でした。

会場はのどかなところにあり、そこへは鶴ヶ島駅から「つるワゴン」という小型のマイクロバスが出ていました。けれど10名乗れるか乗れないかという小ささなので、運転手さんが何度も人数を数えたり、途中の市役所前での乗り換えでは、結局全員乗り切れなくて別の「つるワゴン」を呼ぶことになったり。一体どうなることか、とヒヤヒヤしたせいで、狭い車内で一緒だった家族会「こもれび」の会員の方と、既に運命共同体のような心境になっていました(笑)。講演に行くのだか慰安旅行に行くのだか、わからない気分でした。

講演前には、主催者であるその「こもれび」さんと「鶴ヶ島市障害者支援ネットワーク協議会」(通称Sネットワーク。地域福祉を促進するとともに、障害のある方もない方も誰もが地域で安心安全に暮らせる共生のまちづくりを目指し、3年前に設立したそう。)の方々と控室でご挨拶。アットホームな空気で、緊張もどんどんほぐれてきました(やはりいつも講演は緊張します。当然ですが)。

私の話のあとは、当事者家族6人の方たちが登壇され、それぞれの経験談を話されました。
お2人はご夫婦、ほかのお2人は母子、そして当事者のお1人、もう1人の当事者の方が急に来られなくなったので、「こもれび」代表の方が話されました。当事者のお母様です。

この障害当事者やご家族の経験談というコーナーは、講演会では毎回あった方がいいと思いました。色々な方の実際に通ってこられたお話を伺うのは、この障害を負ったことによる苦労、問題点がとてもよく、早くわかる方法です。
ご主人が接触事故で高次脳機能障害になられたというご夫婦は、ニコニコ穏やかなご主人と、しっかりした奥さん。ご主人が今までのことを話されたあと、奥さんが困っていることのほかに、「大黒柱となる大変さ」「家族への支え、子どもへの支え、学校の先生や企業主への支えも大事」「介護する家族は地域や社会と繋がることが大事」と訴えられました。私も同感です。やはり妻の立場の方の考えは、同じです。

次の、小学生の時に交通事故に遭って高次脳機能障害になられたという息子さんは、その後中学でいじめられたことや理解ある先生のいた高校時代など、詳細に覚えられていました。いじめられた悔しさもバネに転換し、英検2級を取り大学も卒業し就職もされている今、自分の持つ障害症状を理解しつつ、これまで支えてくれた家族や執刀してくれた医師への感謝も述べられ、すごく立派でした。 そして、その息子さんのために懸命に奔走されてこられたお母様の奮闘話にも、ひどく胸打たれました。嵐のような日々もようやく落ち着きを取り戻したけれど、今までの12年間より、これからの息子さんの人生の方がずっと長いので、息子さんが自立できるようにサポートしていきたいとのことでした。 私は同じ妻の立場のことならわかりますが、母の立場の方の、こんなに思いのこもったお話をじかに聞くのは初めてだったので、思わずうるうるしました。母も大変ですね。でも、こんなにキリッとした真面目な息子さんですから、今後もし困難に見舞われることがあっても、きっと乗り越えていけると思いました。

次の当事者の方は、2年前の51歳の時に脳出血で高次脳機能障害になったそうです。手帳の申請へ一人で行って失敗した(杖をついていたので、精神障害ではなく身体障害と思われた)お話や、年金は地域相談会で社労士さんに無料で相談できたのでスムーズに手続きできたお話、介護保険についてのお考えなど、司会者に時々助けられながらとてもためになるお話をされました。中でも、「OTと言われてもわからない。日本語で作業療法士、と言われないと。」というご指摘にはハッとしました。私もMSW(医療ソーシャルワーカー)とは何かわからなかったし、特に障害を持たれる方には日本語がいいですね。

同じような話が一昨日24日の朝日新聞10面の投稿欄「声」に載っていましたが、読まれた方いらっしゃるかもしれません。それは、「快速」「急行」といった電車の種別の呼び名についての苦言でした。「都心では鉄道会社ごとに『特急』『準急』『快速特急』など様々な呼称があり、『快速』が『急行』より早い会社もあれば、その逆もあります。初めての利用者には、何が何だかわかりません。」と。「外国人観光客が急増する東京五輪に向けて、鉄道会社に改善して欲しい」とのことでしたが、本当にそうですよね。私もちっとも違いがわかりません。いっそのこと「A」「B」「C」・・・ として、順に早くなる(遅くなる)とするのは、どうでしょう? ダメかな。何かいい案ないでしょうかね。 ほかにも、私がわからない言葉が、最近は多いです。もう無視していますけど。

3人の当事者の方が発言されたわけですが、家族が発言するのとは違い、ご本人の言葉というものは大変貴重なので、是非これからも全国の当事者の方々は発言されていってほしいと思います。これからは、当事者が発信され、家族や支援者がそれに耳を傾けていく時代だと思います。

そして最後に「こもれび」代表の方のお話。急にお話することになったので、前日に慌てて作ったという、写真を使ったできたてほやほやの資料。そこには16年前に20歳で交通事故に遭われた息子さんの、管に繋がれた痛々しいベッド上の写真がありました。でもそれを見た私は(多分多くの方は)、(ああ、うちと同じ!)と思いました。あの瀕死の状態から、私の夫も含め、皆さんよくぞここまで甦ったものです!スゴイスゴイ!
その息子さんが、「よさこい」踊りをカッコ良く踊られている現在の写真で最後をしめられました。

10年前にできた家族会「こもれび」は、毎月1回は決まった居酒屋(当事者家族が経営されているそう)で集まり、愚痴を言ったり笑ったり、楽しみながらストレス解消になっているそうです。

やはり同じ経験をしている人と一緒だと、ほっとしますね。明日への活力が得られる、大事な場だと思います。
そしてSネットワークさんのように、そうした当事者・家族を支えて活動して下さる方々の存在は、大変有難いです。

とても心温かな気持ちで、帰途につきました。
有難うございました。